スタッフブログ

西大寺さん(6)

aniyan
2010年3月18日 木曜日

本堂・文殊菩薩の脇侍、善財童子の像は、
1974年に書かれた灰谷健次郎の小説「兎の眼」で
主人公の女性小学校教師の小谷先生が休日に西大寺を訪ねる場面で
彼女が善財童子の目を兎の眼にたとえたことで、
当時大変多くの来訪者があったといわれています。
物語には釈迦如来像や境内の南側にある石仏群も登場しています。

 

小説「兎の眼」は兵庫県尼崎付近を舞台に
当時の障害をもった子供や、貧困生活者居住区に生きるひとたちと
学校・先生の交流を描いた作品です。

 

小説の舞台となった地域は、市民の生活水準も上がり
現在は綺麗に整備されて、貧困生活者居住区のようなエリアがどこにあったのか
まったく見当もつかないほどになっています。

 

この地域と西大寺さんが阪神なんば線で直通になったのも
善財童子が結んだ縁だったのかもしれません。

西大寺さん(5)

aniyan
2010年3月17日 水曜日

仏教はお釈迦さんが説いた教えであり、お釈迦さんは宗派を超越した存在です。
お釈迦さんは紀元前5世紀頃、現在のネパールの王子様だったかたです。

 

仏教に帰依するひとならば、誰でもお釈迦さんの本当の姿は見たいと考えるのは普通。

 

平安時代、平将門や藤原純友の乱で、政情国情が不安視されていたころ、
最澄や空海が説くような儀式化したものではない、庶民に根ざした仏教を求めて、
中国大陸に渡った奝然(ちょうねん)というお坊さんが、
お釈迦さんが存命なあいだに写して彫られた像の模刻を持って帰ってきたので、
民衆は大騒ぎ。

 

模刻を現物ととっかえて持ち帰ってきたという噂までたってしまって、
朝廷が比叡山と同格の扱いでおまつりしてよいという勅許まで出しました。

 

その釈迦如来像が京都・嵯峨の清涼寺に国宝としていまも在りますが、
この出来事もふくめて平安後期から広まった釈迦信仰で、
同像の日本国内でのさらなる模刻がくりかえし彫像されます。
およそ国内に50ほど現存するのではないかといわれています。

 

釈迦信仰と衆生(人々)救済を教旨とする西大寺さんの本堂の中央にあるご本尊も、
清涼寺三国伝来釈迦如来像模刻のひとつです。
数ある模刻のなかでも完成度が高いとのことです。

西大寺さん(4)

aniyan
2010年3月16日 火曜日

西大寺さんの本堂でお釈迦様に鎮座まします、文殊菩薩は難民救済の仏様です。
叡尊さんとお弟子さんの忍性さんがとりわけ厚く信仰された仏様です。

 

叡尊さん同様に忍性さんも貧しい人や病に悩むひとたちの救済に
身をささげたお坊さんです。

 

お二人はとくにらい病で厳しい差別などに苦しんでいた人たちの救済をされました。

 

忍性さんも人の子ですから、当初はらい病(ハンセン病)のかたの外見に
最初はやみにやまれぬ嫌悪をこらえながら、お手伝いをされていて、
ある日叡尊さんにその悩みを打ち明けられました。

 

そのとき叡尊さんは

 

「文殊菩薩さまがわれわれに救いの手を差し伸べるように導かれた縁であり、
文殊菩薩さまのかわって彼らを助けているのだ。
彼らを救うことこそが文殊菩薩様への信仰なのだ」

 

と忍性さんに説かれました。

 

忍性さんは師の言葉に目覚められ、
その後、北山十八間戸を建て、らい病の方たちを集めて収容し、
物乞いに街へ出る彼らを、身体の弱いものは忍性さんが背負ってまでして
彼らへのお世話ににつとめられました。

 

救われた人たちも、生まれ変わって忍性さんにお礼がしたいと
みな涙して感謝されたというお話が残っています。

 

忍性さんは幕府のある鎌倉へ迎えられ、叡尊さんの教えを伝えるべく
極楽寺を造営します。

 

叡尊が亡くなったあとは西大寺の長老として、西大寺や般若寺などを将軍の祈祷所にしました。
晩年、東大寺大勧進や四天王寺別当にもなっています。

 

忍性さんは没後、後醍醐天皇から「忍性菩薩」の号をおくられています。

西大寺さん(3)

aniyan
2010年3月12日 金曜日

鎌倉時代に叡尊という名僧が西大寺に来られて、その教えを聞こうと若いお坊さんや庶民が彼のもとに集まり、
西大寺を正統な僧侶の免許である戒律を付与する道場として復興します。

 

規模こそ奈良時代の半分くらいではありますが、それでも叡尊さんが一代で成し得たものとしては
驚異的な数の仏像や伽藍をつくりあげました。
その多くはまた後の時代の大火災などで焼失はしていますが、
東側の塔(現在は基盤のみ)を境内の中央に配した伽藍配置はこの当時からのものです。

 

叡尊さんは戒律による仏の教えを正さんとされただけではなく、
八幡信仰で神社にこもられたり、真言律宗以外にも、神仏の宗派を超えて
全国にたくさん足跡をのこされています。

 

叡尊さんは貧しいひとや弱者へ思いをはせられ
現在の大茶盛につながる、正月の寒い日にみんなの健康のためにお茶を配ったり
らい病のひとたちをお寺に集めて面倒をみたりされました。

 

そのような叡尊さんは存命のうちに時の天皇から「興正菩薩」の称号をうけられています。

 

西大寺さんには叡尊さんがお元気なうちにその姿を写して彫られた木像や
お手植えされた柘植の木はいまも残っていて、毎年その木の実でお念珠がつくられています。

HDD容量が倍々で増えていく・・・

shu
2010年3月10日 水曜日

先月に、お客様のご提供している、サーバ容量を倍の2GBに増加したのですが、IDC側の計らいで更に倍の4GBになりそうです。。。

1TBのHDDが1万円を切って売られていますから、何とも昔の容量を知っている方には驚きの容量ですね~

私が初めて買ったノートパソコンは、800MBで皆んな、すげーって言ってましたから、今はパソコンに映画が何本も持って歩ける時代なので、感慨深いです。。

間もなく、正式に4GBまでのリリースが出来そうです。

これだけの容量をお客様が使うかは疑問ですが、大きいことは良いことです 😛

ページトップへ