鎌倉時代に叡尊という名僧が西大寺に来られて、その教えを聞こうと若いお坊さんや庶民が彼のもとに集まり、
西大寺を正統な僧侶の免許である戒律を付与する道場として復興します。
規模こそ奈良時代の半分くらいではありますが、それでも叡尊さんが一代で成し得たものとしては
驚異的な数の仏像や伽藍をつくりあげました。
その多くはまた後の時代の大火災などで焼失はしていますが、
東側の塔(現在は基盤のみ)を境内の中央に配した伽藍配置はこの当時からのものです。
叡尊さんは戒律による仏の教えを正さんとされただけではなく、
八幡信仰で神社にこもられたり、真言律宗以外にも、神仏の宗派を超えて
全国にたくさん足跡をのこされています。
叡尊さんは貧しいひとや弱者へ思いをはせられ
現在の大茶盛につながる、正月の寒い日にみんなの健康のためにお茶を配ったり
らい病のひとたちをお寺に集めて面倒をみたりされました。
そのような叡尊さんは存命のうちに時の天皇から「興正菩薩」の称号をうけられています。
西大寺さんには叡尊さんがお元気なうちにその姿を写して彫られた木像や
お手植えされた柘植の木はいまも残っていて、毎年その木の実でお念珠がつくられています。