西大寺さんの本堂でお釈迦様に鎮座まします、文殊菩薩は難民救済の仏様です。
叡尊さんとお弟子さんの忍性さんがとりわけ厚く信仰された仏様です。
叡尊さん同様に忍性さんも貧しい人や病に悩むひとたちの救済に
身をささげたお坊さんです。
お二人はとくにらい病で厳しい差別などに苦しんでいた人たちの救済をされました。
忍性さんも人の子ですから、当初はらい病(ハンセン病)のかたの外見に
最初はやみにやまれぬ嫌悪をこらえながら、お手伝いをされていて、
ある日叡尊さんにその悩みを打ち明けられました。
そのとき叡尊さんは
「文殊菩薩さまがわれわれに救いの手を差し伸べるように導かれた縁であり、
文殊菩薩さまのかわって彼らを助けているのだ。
彼らを救うことこそが文殊菩薩様への信仰なのだ」
と忍性さんに説かれました。
忍性さんは師の言葉に目覚められ、
その後、北山十八間戸を建て、らい病の方たちを集めて収容し、
物乞いに街へ出る彼らを、身体の弱いものは忍性さんが背負ってまでして
彼らへのお世話ににつとめられました。
救われた人たちも、生まれ変わって忍性さんにお礼がしたいと
みな涙して感謝されたというお話が残っています。
忍性さんは幕府のある鎌倉へ迎えられ、叡尊さんの教えを伝えるべく
極楽寺を造営します。
叡尊が亡くなったあとは西大寺の長老として、西大寺や般若寺などを将軍の祈祷所にしました。
晩年、東大寺大勧進や四天王寺別当にもなっています。
忍性さんは没後、後醍醐天皇から「忍性菩薩」の号をおくられています。